第37回:「存在の在り方」
存在については以前も書きました。
そして存在についての書き置きもかなり書いています。
そこに在るから存在している
存在していたから・・・・・こうやって残る
つまりは全ての言葉で表現しても、結果は何も変わらない
確かに私はここに居て、そこに貴方がいるから
そう考えると全ては感じる事ではないかと思います。
感じる事ができるから確かにそこに存在する。
つまりもし感じる事ができないままに、感じてもらえなかったら
存在するのに存在しない。
そんなばかな話と思うかもしれませんが、もしその状態になったら
存在すらしない何かになるのではないかと思います。
例えば知らない街で歩いていても、だれかが見て何かを求めるか?
それは無いでしょう。
つまりはそこに確かに存在しているのに限りなく薄い存在となっている
消えはしないけれど、それでも存在しているとは限りなくいえなくなる
だからそこに在る事実は結果「孤独」に繋がるのかもしれません。
当たり前に考える存在の定義が今では何なのか?と考えてしまいます。
人がかってに決めたこの世間と言うルールの中で生きる私たちは確かに幸せかもしれません。
しかし、その中であっても存在の定義が蜃気楼のように感じてしかたがありません。
こうして読んでもらえることでAzと言う存在が薄く存在していて
そう思える事が存在できているのだと思えます。
私は確かにこうやって存在しています。
貴方も存在していますよね・・・でも存在しているのでしょうか?